2018年4月29日日曜日

彼の友人が呆れた

 今、晩柑類が美味しい。ニューサマーオレンジを食べながら蜜柑を作っている知人の話を思い出した。
 彼の畑で何年も実っていた蜜柑の木がとうとう枯れたそうだ。そこで思い切って新しく文旦の苗を7本買って植えた。それを聞いた彼の友人が呆れた。「お前、自分の年を考えてみろ。今更そんな苗を植えて、いったい何年後に文旦が取れると思ってんだ?」。彼はすぐ言い返したそうだ。「お前、知らないだろう。ルターはな、『たとえ明日世界が滅びても、今日私は林檎の木を植える』って言ったんだぞ!」。
 私は「うまい!」と思わず膝を打った。そうだ、そうだ、神さまへの信頼。そこにこそ希望がある!

2018年4月22日日曜日

百歳のKさん

 百歳のKさんを訪ねた。ご家族のご都合で半年ぶりの訪問だった。半年前に比べて、全体に調子は落ちてきているが、その下り坂は極めて緩やかだと感じる。ひとえに主の慈しみとご家族のお世話のおかげだ。
 両耳に補聴器をセットして頂くと、少しは聞こえるとおっしゃる。マグダラのマリヤが復活の主イエスに出会ったあの美しい箇所を読んだ。ニッコリ、ニッコリうなずきながら聞いてくださる。聖餐に与って頂き、愛唱の聖歌「驚くばかりの恵み」(アメージング・グレイス)を一緒に歌って、「主の祈り」を捧げる。
 主はこの恵みを、Kさんに付き添うお嫁さんにも分かち合ってくださっている。主に感謝!

2018年4月15日日曜日

どちらのリスクをとるかだと言われた

 整形外科の検診のため叔母を施設へ迎えに行った。
 いつもと叔母の様子が違う。無表情で、“チーン”と静まっている。ショックだった。この一ヶ月叔母には精神安定剤が処方されていることを知った。認知症の叔母に、「黄昏症候群」の症状が出たためだ。
 整形外科の医師にも意見を聞く。転倒による骨折か精神安定剤の副作用のどちらのリスクをとるかだと言われた。
 診察後、叔母が言った。「私のことを一番にしないでいいのよ。あなた達のことを先に考えて」。思いがけない叔母の言葉に、思わず涙が出そうになりながらかたく叔母の手を握りしめる。叔母がニッコリ笑った。
 何も出来ないと思うやるせなさを、主に委ねる。

2018年4月8日日曜日

この喜び

 「見ました、主を!主を見ました!」泣き笑いを繰り返しながら、マリアは走っただろう。ハレルヤ!ハレルヤ!一刻も早く、一刻も早く伝えなくては・・・
 主イエス・キリストの復活、それは死に打ち勝った新しい有様の新しい生命だ。種としてまかれた一粒の麦が新芽となって萌えいずるようなものだ。
 確かにわたし達は皆アダムの子として死ぬ。しかし、そのわたし達は皆キリストによって復活する。このことを主の復活後の日々に特に覚えたいものだ。
 新たな朝の、新たな光の中をひた走るマグダラのマリアの喜びに与りたい。復活の主と一つにされる喜び。救われた喜び。主を信じきる喜び。

2018年4月1日日曜日

おりしも

 鼻水と痰の絡む咳に加えて熱もある。これはてっきり風邪を引いたに違いないと病院へ行く。花粉症から副鼻腔炎を起こしていたことがわかった。
 おりしも聖木曜日から聖金曜日にかけて、ひっきりなしの咳と鼻水で眠られぬ夜を過ごしつつ、主イエスはこの夜、逮捕され、取り調べられ、茨の冠を被せられ、つばを吐きかけられ、鞭打たれ、愛弟子ペトロの裏切りを目の当たりにしたのだということを思った。
 しかし、十字架に死んで葬られた主イエスは復活された。山々は新緑で息づきはじめ、折しも桜は満開だ。「赦しあえ」「相愛せよ」と教えてくださる復活の主は、この桜の花陰にもおられるかもしれない。