2018年2月25日日曜日

四旬節に

 先日、用事があって先輩のT牧師に電話をかけたたが留守だった。「実は、灰の水曜日から一週間山ごもりをしていてね・・・」と後から連絡があった。
 ある姉妹は、教会家族や隣人の名前を「あ」から初めて、あ・い・う・え・お順に祈っているということを聞いた。また、別の姉妹は四旬節の間は、おやつを断って過ごすことにしたそうだ。
 我が家では、この時節を自分の弱さと不十分さをすべて主の恵みに委ねて過ごせるようにと、「謙遜」の小さな献金箱を作ってテーブルに置いた。
 冬の寒さはもうしばらく続く。しかし四旬節はイースターという光に向かって過ごす一日一日だ。

2018年2月18日日曜日

目覚ましどころでない

 1月のある朝、突然、夜明けとともに鳥たちの鳴き交わす澄んだ響きで目が覚めた。その響きは軽快で、音階やリズムは微妙にそして大胆に変化する。言葉で形容できず、音声で真似できず、人間の音楽の常識を超えている。以来毎朝、ほぼ決まった時間にやって来て、数分鳴いたあと飛んで行く。聲はすれども姿は見えずの主(ぬし)への興味は深まるばかり。
 野鳥の声の図鑑で調べてみると、画眉鳥(ガビチョウ)だとわかった。中国からペットとして輸入されたのが自然の中に放たれ、野生化したという。
 今朝も、澄み切った、大音量の目覚まし時計に起こされる。朝だ、朝だ。お日様おはよう!

2018年2月11日日曜日

小さな木の芽を見ながら思う

 立春も過ぎ、確実に日差しが伸びてきた。まだ寒いとはいえ、朝の日差しを浴びて、庭先の紫陽花の新芽は勢いが良い。よく見ると、枝ごとにポコポコ付いている新芽たちが何やら人間の顔に見えてくるのがたまらなくおかしい。あどけない、嬉しそうな表情だ。
 そう言えば、昔子供たちに読み聞かせた絵本を思い出した。名前は確か『木の芽合唱団』だったかな・・?
「僕らは、僕らは、木の芽だよ。パッパ、パッ、パッ、パッの木の芽だよ・・・」と元気に歌っていたっけ。
 小さな木の芽を見ながら神の親心を思う。今日は主イエスが山の上で、私たちに天の国をチラッと見せてくれた日だ。「さあ、これで元気になれるね!」と。

2018年2月4日日曜日

やんちゃ坊主も学んだらしい

 先日、ヒーターをつけてから間もなく、何やら焦げ臭い。毛糸の焦げる臭いだ。慌てて台所を見回すが火は使っていない。だとするとヒーターしかない!
 案の定、末猫のメルがちょこんとヒーターの上に座り、すまし顔で人一倍長い尻尾を垂れていた。尻尾の先の内側が黒く焦げて、毛先には針の先ほどの火の粉が点々とついていた。慌ててメルを抱き下ろしたが、焦げた純毛の毛は指でこするとそこだけ無くなってしまった。メルには気の毒だが思わず爆笑してしまった。
 石油ファンヒーターは温風どころか、間近では熱風が出るのだ。以来、やんちゃ坊主も学んだらしい。"ヒーターの上では尻尾は丸めること"と。