2018年12月30日日曜日

お互いに感謝し合いたい

 キリスト者にとって新年はすでに始まっていますが、この一年の最後の主日にあたって、お互いに感謝し合いたいです。
 私たちは、もちろん完全ではありませんから、問題もあったでしょうし、身体も、心も限界を抱えていて、迷惑をかけ合ったり、ちょっと冷たかったりしたこともあったんじゃぁないかなぁ。
 しかし、この一年、主キリストが、この湯河原教会を守り、導いてくださった。これは事実です。
 そして、私たちのうちに聖霊が働いて、お互いに支え合い、祈り合って、今日を迎えているのも事実です。一年の終わりに、お互いに感謝し合いたいと思います。

2018年12月23日日曜日

光が広がっていく

 冬至に向かう日々、宵闇が次第に早くなっていって、闇の広がりを肌で感じる。しかし、そんな1年の最後の時期に、わたしたちはクリスマスを祝う。
 冬至を境にクリスマスの後は一日一日と光が広がっていく。クリスマスの日にちを決めた古代教会の人々は、こういう神がお造りになった自然の摂理をよく見定めたに違いない。
 「人間を照らす光」として、神のひとり子イエスさまがわたしたちの内に来られた。この光はこれから一日一日と広がっていく。
 ようこそ、暗闇を照らす真の光!おめでとうクリスマス!心からクリスマスをお祝いします。

2018年12月16日日曜日

恵みを数えられたらいいなぁ

 晴天の今朝、目の前に雪の富士山が突如現れた。小田原の巡礼街道のけやき並木が落葉したからだ。
 目に前の木々の葉が無くなって初めて、ああ、富士山はここから見えていたんだと気づいた。日常のこういう経験は、神様の恵みへの気づきにも通じている。
日々の生活の中に、恵みを数えられたらいいなぁ。
 「今年ももう終わるね。この一年、何をしてどう過ごしてきたんだろう?クリスマスがもう来るね。良いクリスマスが迎えられるといいな。争いは終わるよ、私たちが願いさえすれば・・・」。
 ジョンレノンとヨーコの「ハッピークリスマス」がしきりに思い浮かぶアドベントの3週だ。

2018年12月9日日曜日

主の三様の到来

 待降節第2週、クリスマスはもう目の前に。待降節はただ単にクリスマスの準備をする季節ではないと思う。「イエスが来られる」ことの意味を味わう時だ。
 「2000年前に来られたイエス」「世の終わりに再び来られるイエス」そして、日々の暮らしで最も大切な「今、私達の生活の中に来てくださるイエス」だ。
 ヨハネは今日、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と言う。「主の道」とはただ主が来られる道ではなく、私達が主とともに歩んでいく道でもあるはず。
 ひれ伏して思わず叫ぶ。「主よ、私の中の曲がった道をまっすぐに、凸凹道を平らにしてください!」。

2018年12月2日日曜日

愛猫ティティー

 猫のティティーが死んだ。まだ4歳半の短い生涯を可愛がられて走り抜けた。動物は罪を犯さないのでそのままで天国に迎えられる。だから葬儀も供養も要らない。
 ティティーは4年前の夏、お隣の庭で鳴いていた子猫だ。私は捕まえようと塀から落っこちて頭を何針か縫う怪我をしたあのときの子猫だ。魚が大好きで、よく魚を買ってきては食べさせた。腫瘍ができて入院手術。一時回復したが最近は殆ど食べられなかった。
 縁あって、ある寺で火葬をお願いした。初めて本堂に入った。私達はルーテル教会だと名乗って御坊さんとしばし懇談する。伽羅の香りの中、私達はティティーを本堂で見送った。主も共にいてくださった。

2018年11月25日日曜日

大失敗に苦笑したが

 洗礼を受けたばかりの若い頃、教会学校の小さい子どもを受け持っていた。ある時の聖書箇所が「終末」だった。子どもたちに「終末」をどんなふうに教えたらいいのか…?第一、自分自身がわかっていない。
 そこで、聖書を再現して話した。「太陽は暗くなり、星は天から落ち・・・」子どもたちは一心に聞いてくれた。話の後、子どもたちは「本当?そんなこと起こるの?」と不安そうに聞いた。聖書に書いてあるのだから嘘とも言えない。「本当だよ」と私は答えた。
 後日、子どもの親から電話があった。「子どもが怖がっている」と。当時は大失敗に苦笑したが、今ならわかる言葉で主の愛による希望の完成を語りたい。

2018年11月18日日曜日

真心ささげて

 この頃は日が沈むと、空気は途端に冷え冷えとしてくる。気がつけば牧師館の庭に白と薄桃色の混じり合った山茶花が咲いていた。山茶花は晩秋の花で今が盛りだ。このところ一足飛びに秋が深まったと感じる。
 この季節の変化に引き寄せられて、カレンダーを確認する。・・・11月もあと2週間か!すぐ目の前に待降節が始まり、そしてクリスマスを迎える。今年いただいた多くの気づきに感謝しながら、今年はどんなクリスマスを迎えようか・・・と思い巡らしてみる。
 貧しい我が身に余りある恵を数えた。できれば真心の感謝を捧げるクリスマスがいいな。この寡婦のように。私にとってのレプトン2枚。真心のレプトン。(マルコ12:41〜44)

2018年11月11日日曜日

もう待ったなしだ

 立冬だと言うのに、夏日となったというニュースだ。この夏の猛暑といい、気候変動が気になってくる。この冬は暖冬だと予想されているが、温かい冬は過ごしやすいなどと言って喜んではいられない。
 NHKテレビ、『クローズアップ現代』を見た。近年急速に海がプラスティックごみで汚染されてきているという。それも21世紀が始まってからのわずか18年間で、それまでの汚染の量を遥かに上回ってしまったという。それを知って、唖然となる。
 海洋汚染はもう待ったなしだ。とにかく自分にもやれることをしよう。そう決めた。これまでのマイバッグに加えて、マイバスケットを購入した。3個もだ!

2018年11月4日日曜日

花梨のミッションワーク

 私たちの兄弟教会である小田原教会には花梨の木がある。今年はなり年らしく見事な実をつけていた。
 先日のこと「こんにちは」と玄関で大きな声がするので出ていってみると、庭続きの梱包会社の方が立っていた。ちょっと緊張した面持ちで「こっちの庭に出ている花梨をもらってもいいですか?」と言われる。「どうぞ、どうぞ、遠慮なくお持ちください」と私。がっしりした体つきの彼の日焼けした顔がニコニコ!となった。母親へのプレゼントだろうか・・・?
 この方、でっかいコンテナを梱包しながら、漂ってくる芳香を楽しんでおられたのかもしれないな。ささやかな花梨のミッションワークがちょっと嬉しい。

2018年10月28日日曜日

みんな大好き ずっと大好き

 I姉妹の墓前礼拝のために吉祥公園墓地に行った。
墓地の中を歩きながらいろいろな墓石に刻まれた言葉が目に入ってきた。「絆」「憩」などの文字。中にはユニークなものもあって生前が忍ばれて微笑ましい。
 I姉妹の墓標には「みんな大好き ずっと大好き」と刻まれている。彼女が筆談で書き残した最後の言葉を拡大して墓石に刻んだと伺った。持続可能な環境作りに取り組んでいたI姉妹が、家族や多くの人に向けた感謝と愛のメッセージだ。
 いいなー!この言葉って、まるでイエス様の思いじゃないか!「みんな大好き ずっと大好き」。慰められる。そればかりか、生きる力が湧いてくる。

2018年10月21日日曜日

「義務」を選び取った方

 先日の久しぶりに晴れた朝のことだ。酒匂川の川沿いの道に入った途端、端正な雪の帽子をかぶった富士山が表れた。「おお、雪の富士山だ」このところ生憎の天気が続いていたので、それは突然だった。
 見れば、河原にはススキの白い穂もいっぱいだ。すっかり秋になったと、この夏の終わり、秋の初めの過ぎた日々も支えてくださった主の寛容を思った。
 ふと新聞で読んだ「与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく・・・」この言葉が思い出された。なんだか惹かれる。この方は自ら「義務」を選び取った。選び取られた「義務」は人を深める素敵なことだと思えた。

2018年10月14日日曜日

実は神様つながりの兄弟姉妹だ

 『ホモ・サピエンスの10万年史と日本人』というラジオ番組にハマった。聞けば聞くほど、旧約聖書の語る天地創世の物語がますます真実味を帯びてきた。
 我々の先祖である古代のホモ・サピエンスは現代人とほぼ変わらないという。彼らは洗練された文化を持っていた。彫刻をし、優れた技術と洒落たデザインの壁画を残した。高度な石器だけでなく、骨製のフルートなどの楽器を持ち、骨製の縫い針や釣り針も駆使した。
 彼らはアフリカで生まれ、次第に進化したというより、最初から素晴らしい能力を持ってアフリカを出て全世界へと拡散した。現代人のDNAは我々は実は神様つながりの兄弟姉妹だと証するかのごとくだ。

2018年10月7日日曜日

いい眺めだ!

 Aさんの納骨のために熱海から車で30分ほどの霊園に来た。来てみて驚いた。
 後ろに十国峠を、眼下には相模灘を見下ろすという絶景だ。思わず「ああ、いい眺めだ!」と、叫んでしまいそうだ。汗ばむ地上の気温からくらべて、山の上は7,8度は低いのだろうか?少し冷たい空気が清々しい。なるほど、ここは別天地だ。Aさんが、生前ここを家族の墓地として選んでおいた訳がわかるような気がした。
 都会の喧騒から遠く、天地(あめつち)を創られた神に近いこの場所に、家族や親しい人たちが集ってくる。よみがえる温かな思い出。そして感謝。

2018年9月30日日曜日

なんとも嬉しい

 女性会が作った「敬老の日のお祝いのカード」が届けられた。このほどそれへの感謝が寄せられている。
 その中の葉書には「『長い旅路をお守りくださった神様』との一節が心に響きました」と書かれ、また、別の葉書には「素晴らしい三種のカードに込められたメッセージをお送りくださり誠にありがたく・・・」とあった。さらに、一通の手紙には「神様のみ言葉、メッセージ、ご婦人たちのお心のこもる・・・」と、感謝の言葉が綴られていた。
 こんな返事をいただけるなんて、なんとも嬉しい!体も心も膨らむ。こんなふうに神のメッセージはみんなを喜びと感謝で満たしてくださったと改めて知る。

2018年9月23日日曜日

みんな違って、みんないい

 教会の修養会で「性的少数者」について学んだ。自らその一人だと公言する平良牧師の話に聞き入った。
 一言で「性的少数者」と言っても、中身は実に多様なのに驚く。性自認と性的指向とは違うことも知った。
 例えば同性愛者だが、確かに社会も教会もこれまで彼らに対して偏見を抱いてきた。しかし、同性愛はもはや人権の問題なのだ。「神は男と女とに創造された」という言葉だけがいわば一人歩きをする時、同性愛者はキリスト教と同性愛が自分の中で折り合いがつかなくて苦しむという。ハッとさせられた。
 この世界、「こうでなくっちゃ〜」ではなく、「みんな違って、みんないい」という話なんだね。

2018年9月16日日曜日

ハレルヤ!高齢者の皆さん

 「子ども食堂」は、始めることは比較的簡単であっても、場所や担い手、そして資金の問題から継続していくことは容易ではないという。また、大人の理想と子どもの置かれている現実の差が、子どもの参加をしづらくさせているといわれている。
 「子ども食堂」を実践しているHさんの話を聞いた。運営資金や人材の確保、「営業許可」を巡る保健所との交渉に苦労される。そんな予想しないハードルをいくつもクリアしながら、Hさんは「子供の居場所」の必要性を冷静に問いかけてこられた。
 ボランティアには多様な年齢の方々がおられるが、中心は65歳以上だ。ハレルヤ!高齢者の皆さん。

2018年9月9日日曜日

重い腰もそろそろっと上がる

 集中豪雨に台風そして地震と、この夏の災害の多さはどうしたことか!被災地域は、これまでこんな災害は経験したことがなかったと口をそろえる。「自分のところだけは大丈夫」という安全神話は崩れた。
 そういえば私達の町、湯河原も昔から地震からも大雨や洪水からも守られてきたという。しかし、「だから大丈夫」ということにはならないと知らされた。
 まずは災害に備えるためにと、ネットで検索してみる。ふむふむ、持ち出し袋を作っておくことなんだ。食料や水などの備蓄、トイレ対策なども必要なんだ。明後日は二百二十日、また台風がやってくる。 
 疎かにしてきた重い腰もそろそろっと上がる。

2018年9月2日日曜日

愛され、受け入れられているから

 この9月、アネモス教会群4教会での合同修養会で性的マイノリティの方々の人権についての講演が予定されている。7月に「あなたの教会はLGBTの方を受け入れますか?」というアンケートを受けたことがきっかけになった。
 そんな矢先、「LGBTのカップルは生産性がない」というある国会議員の発言が議論を呼んだが、果たしてそうなのか?今度の合同修養会は、まずは学んで、もっと知って、さらに考える絶好の機会だ。
 マイノリティの方々が苦しむ人権問題はいたるところにある。主イエスの眼差しはいつも少数者に向けられている。きっと目が開かれる経験となる。

2018年8月26日日曜日

頑張ろっと!

 健康診断を受けた。この日に合わせて昨年から試みてきたことある。コレステロールを下げることだ。
 効果があるという豆乳、トマトジュース、納豆を毎日食べるようにしてきた。最近では少しばかりスクワットもしている。自分なりのこの試み、果たして効果のほどは?と、期待が湧く。
 エコーの検査をしながら私の内臓に陣取っている脂肪の説明を聞く。「これは脂肪肝ですね」と言われてがっかり!しかし「炭水化物を少なくし、食べる量を減らせば、来年の今頃は驚くほど痩せて脂肪肝も改善しますよ」とは、ありがたい医者の助言だ。
 私達は神の宮だと主も言われている。頑張ろっと!

2018年8月19日日曜日

耳と、目と、心を澄ませたに違いない。

 迷子の2歳児が無事に見つかって本当によかった!
 3日間、警察と消防延べ380人体制の懸命の捜索で発見できなかった理稀ちゃんは、大分から駆けつけた78歳のボランティア、尾畠さんによって救助された。
 救助に至る話を知って驚いた。尾畠さんは理稀ちゃん行方不明から3日目に現場に到着するや、一人で山に入り、捜索開始から数十分で理稀ちゃんを発見した。
 彼は山辺に立ち、耳と、目と、心を澄ませたに違いない。お礼はおろか、食事も風呂も断る程の潔さぎよさの持ち主を突き動かすのは、彼の憐れみ深さだ。
 「子供というものは上に行く」という尾畠さんの経験則に、主は「ここを行け」と示されたのだろう。

2018年8月12日日曜日

実況中継

 夏の甲子園大会がたけなわだ。鳴り響くブラスバンドの音と「かっとばせーー!」の声援に暑さも吹っ飛ぶ。
 「ピッチャー、投げました!」「バッター、打ちました!」キビキビとしたアナウンサーの声がラジオから聞こえる。それにしても今朝の中継は一味違う。
 「ピッチャー、…をーーげました!」弾力のある「な」の音に、ピッチャーのボウルを振りかぶる動作、息を詰めるバッターの姿が見えるようだ。一期一会の高校野球にふさわしい魅力ある実況中継だ。
 さて、礼拝堂でも主の生き様と教えの実況中継が生き生きと始まる。「それから、イエスは付近の村を巡り・・・」この恵みいっぱいの中継に吸い込まれる。

2018年8月5日日曜日

なんだか嬉しいなぁ〜

 こう連日、暑くっちゃかなわない。思うように体も頭も働かない。もう限界だ。そうだ、こういうときにこそ頭と身体を同時に使う「創造の業?」に励むべし!
 そこで、トラブル続発だった無線式の「呼び鈴」に替えて有線式のを取り付けることにした。電線を玄関の外から家の中に取り込む方法が難しい。フムフム・・・古い電話線の通っていた穴を利用することにして、二階の屋根から猫の額くらいの庇に降りる。スリリングな作業を終えて、取り付け工事完了!
 さっそく試す。「ピンポーン、ピンポーン」やったー、大成功!なんだか嬉しい。さて、この新しい呼び鈴を一番始めに押す人は誰かなあ?

2018年7月29日日曜日

安心があるから

 久しく忘れていた赤ん坊の笑い声を聞いた。長女が5ヶ月になる孫の声を録音してスマホで送ってきた。イナイイナイバーをすると、ケラ、ケラッと実に愉快でたまらないと言ったふうに笑っている。笑い声がこんなに新鮮だったとは驚きだ!11秒間の赤ん坊の喜びに思わず吸い込まれる。
 先日、クリスチャンの生活は喜びだという内村鑑三の言葉を紹介してくださった方があった。そういえばどうもわたし達は眼の前の義務や責任に喜びを奪われ、天の父が一緒なのに暗くなってしまう。
 赤ん坊がイナイイナイバーに無心に笑う。母親が一緒にいるという安心があるから笑えるんだね。

2018年7月22日日曜日

この夏

 この夏も恒例の湯河原の花火大会があった。夕食を食べようか、それとも見に行こうか、どうしようかと迷っているうちに「ドン ドカーン」と大きな一発。あっ、始まった!と思う間もなく、続いて「ドドド ドーン」「パリパリパリッ ドドーン」。
 今の音は三尺の打ち上げ花火だとか、あの音はスターマインだとか言いながら夕食を食べる。こんな花火の楽しみ方もあるものだなぁ…などと思いつつ。
 そういえば昨年は雨のために花火大会は二度延期になり、三度目も雨でとうとう中止になった。もうちょっと涼しかった昨年の今頃を思い出した。猛暑のこの夏、雨も日照りもどうかお手柔らかにと願う。

2018年7月15日日曜日

どうしたことだろう?

 雨がやんだ途端、この猛暑。一気に真夏の到来だ。
 今朝はドアの前に弱ってひっくり返っている蝉5匹を見つけた。このところほとんど蝉の鳴き声らしい鳴き声を聞かないのに、この蝉の数はどうしたことだろう?少し緑色をしているところを見ればミンミンゼミだろうか。蝉の知識はないが、ミンミンゼミは暑さに弱いと聞く。急な暑さで参ってしまったのかと思ったりもする。紫陽花の花に乗っけてやる。
 このところ夜になると何やらジジー、ジジーと騒がしい。そういうときは決まって猫が蝉を捕まえて来ている。嫌がる猫を押さえつけて生け捕りの蝉を放してやる。地上での短い生命を思えば、そうしたい。

2018年7月8日日曜日

肝に銘じた

 今朝もラシオを聞きながら、天気予報がずいぶん懇切丁寧だなぁと感心する。
 「自宅が平屋の場合はご近所の二階へ避難を」とか「用水路の様子が気になっても見に行かなでください」とか「避難する部屋は崖側を避けて」などと、すごく具体的だ。人間には危険にたいして、自分だけは大丈夫という脳のメカニズムが働くという。「正常性バイアス」という落とし穴への注意かもしれない。
 「当然、当然」と、うなずきながら聞く。夕方、黒雲を見ながら「大丈夫」と買い物をした。しかし店から車までの僅かな距離の間に滝の雨だ。全身ずぶ濡れになってみて肝に銘じた。災害はいつも想定外だ!

2018年7月1日日曜日

暑さに負けてはいられない

 いっきに夏がやってきた。金曜日、西湘を走っていて思った。この空の色、海の色、そしてこの地平線から湧き上がる入道雲はまったく夏の色だ。そうしたらその日、記録破りの梅雨明け宣言だ!
 意外な早さで夏がやって来た。気温はゆうに30度を超える。首に保冷剤を巻いて、アイスコーヒーに氷をいれて、一気に飲む。暑さに負けてはいられない。
 こうして主日の準備のため机に向かった。近くの木ではなんと蝉の鳴き声がする。暑さに引き込まれて眠くなる。ジージーという鳴き声が、だんだん遠くなっていく。いけない、眠ってはいけない。
 これからの暑い日々、主日の準備は眠気との戦い!

2018年6月24日日曜日

魂が奪われそうな臨場感

 ワールドカップ、ロシア大会がたけなわだ。
 今夜の試合は世界最強のブラジルとコスタリカだ。主日の準備も気になるなぁ・・・だが、やっぱり試合はもっと気になる。後で「ハイライト」という手もあるぞという良い子の考えは一瞬浮かんで、すぐに消えた。そして、私はテレビの前に陣取った。
 試合前の大競技場の様子が映し出された。応援に馳せ参じた人々の何もかも忘れて試合だけを見つめているその熱気が実にイイ。怖いくらいに引き締まった選手たちの表情がスゴイ。誰も彼も一心不乱だ。
 私もドキドキしながら試合開始を待つ。魂が奪われそうなこの臨場感。半端ない!

2018年6月17日日曜日

誕生日に

 家人の誕生日に息子と娘たちは抜かりない。
 その朝一番に、「お誕生日おめでとう」の言葉と一緒に絵文字のケーキと花束とプレゼントの箱、それに誕生カードをLINEで送ってきたのは長女だった。続いて二女からもデコレーションケーキとポンと弾けるクラッカーがLINEで届いた。最後は長男、「おめでとう」の言葉とともに、「今度お寿司をごちそうするよ」とやはり便利なLINEで。LINEだから文字通り絵に描いた餅。なのに、家人はニコニコ嬉しそう。
 そして私は、「いちばん身近な家族のためにも祈って」と言われた教会の姉妹の言葉を思い出しながら、夕食を前に家人のために心から祈りを捧げた。

2018年6月10日日曜日

シメシメ、ホクホク

 梅雨に入った。青梅で作る調味料をテレビで見た家人が、「作ってみたい」と言う。簡単だけをモットーの毎日の食事に、なにやらメリハリの予感がする。
 しかし、梅の時期はほぼ終わっている。せっかくのささやかなチャレンジも諦めるしかないかと思いつつマーケットに行った。完熟の南高梅の中に青梅の最後の一パックを見つけた。ああ、ありがたや!
 冷蔵庫に入る程度の大きさのガラス瓶に数個の青梅、同量のみりんと醤油、それに厚めの削り節少々で出来上がり。2週間待てば梅の香りいっぱいの梅醤油ができるぞ!冷蔵庫を開けて、シメシメ、ホクホク。
 スッキリしない天気だが庭の紫陽花も元気がいい。

2018年6月3日日曜日

黄色は「待て」と学んだ

 小田原からの帰り道のことだ。交差点の手前でバスをうまくよけたところで赤信号となり一旦停止した。
 信号は青に変わり再びスタート。前方の一直線の道路には車が一台もいない。自然、スピードが出てしまう。しかも次の信号も青だ。アクセルを踏んで、通過しようとしたとき少し手前で信号は黄色に変わった。
 行ってしまえ!と心で囁く声。さらにアクセルを踏み込む。その時、ポリスカーが視界に入った。後ろからサイレンの音がする。やってしまった!
 交差点の途中で信号は赤に。信号無視の2点減点と罰金。ゴールド免許は惜しかったが、学んだ。青は「行け」赤は「止まれ」黄色は「待て」と。

2018年5月27日日曜日

参りました。納得です!

 ときどき家人の代わりに半のら猫のイシグロちゃんに餌やりに行く。私の顔を見ると、ニャーニャー鳴いてやって来たまではいいのだが、餌をやっても、なかなか食べない。門のあたりをじっと見ていて、家人が現れるを待っている様子だ。
 そのことを家人に話すと、「ちゃんと、撫でてあげた?」と聞かれた。「撫でたよ」と私。「いい子だねー」っ言ってあげた?寒い時は「風邪、引かないようにね」って、蒸し暑い時は「蚊に刺されないように」って、雨の時は「濡れないようにね」って、そして「また、あしたね」って、いっぱい撫でてあげた?
 参りました。納得です!

2018年5月20日日曜日

聖霊はいつも

 聖霊は眼には見えないけれども、復活のイエス様が私たちたちと共にいて、私たちに働きかけてくださるその働きだ。日頃の生活の中で聖霊をいただくと、わたしたちは本当に新しくされるのだ。
 ぶらぶらと学校帰り、三角頭の〈栗の実しょうへい君〉は〈蟻のアリ子さん〉に出会う。「あなたって、頭の良さそうな形をしているのね」と、アリ子。それを聞いたしょうへい君、「うっひゃー、おいらこれから勉強しよっと!」と、すっ飛んで家に帰っていった。微笑ましくて笑える。工藤直子著『のはらうた』だ。
 三角頭を褒めたアリ子は聖霊の働きに適っている。アリ子にエール!聖霊はいつも肯定的メッセージだ。

2018年5月13日日曜日

主の昇天、そして・・・

 主イエスは、使徒たちを祝福しつつ、彼らの見ている前で天に上げられ、ひとかたまりの雲におおわれた。
 使徒たちは首を仰向け、口を開け、驚きとも名残り惜しさともつかぬ表情で、主イエスが雲におおわれたあたりを呆然と眺めつくしていたに違いない。
 「ガリラヤ人よ、なぜ、天をそう見つめている?いつまでひとつ所に立っている?」と、たちまち現れた白衣の二人が呼びかけなかったら、彼らは夕刻までもそこに立ち尽くしていただろう。我に返った使徒たちは寄り添いあってエルサレムに戻っていった。
 その使徒たちにいよいよ聖霊が降る。主の復活から49日後の50旬節の日だ。とにかく来週が楽しみだ!

2018年5月6日日曜日

くしゃみよ、さらば

 一斉に若葉が出揃って緑が本当にうつくしい。いま周囲を見まわして、静かに神の変わらぬ恵みを思う。
 牧師館の前の針葉樹のモミの木、どの枝も明るい色の新芽に覆われている。一つ新芽が開けば、次々にどの枝の先にも小さなボンボンみたいな若葉が開く。どんどん新芽が開いて、今では針のような葉の先は黄緑色の柔らかな可愛いボンボンでいっぱいだ。
 どんな人にも冬が有る。しかし必ず春は巡ってくる。春の来ない年なんて一度もない。苦労していたあなた、苦しんでいたあなたに、必ず主の恵みの時は訪れる。
 そう言えば・・・長く、辛かった私の花粉症は??
「やったー!くしゃみよ、さらば」。"It's over! "である。

2018年4月29日日曜日

彼の友人が呆れた

 今、晩柑類が美味しい。ニューサマーオレンジを食べながら蜜柑を作っている知人の話を思い出した。
 彼の畑で何年も実っていた蜜柑の木がとうとう枯れたそうだ。そこで思い切って新しく文旦の苗を7本買って植えた。それを聞いた彼の友人が呆れた。「お前、自分の年を考えてみろ。今更そんな苗を植えて、いったい何年後に文旦が取れると思ってんだ?」。彼はすぐ言い返したそうだ。「お前、知らないだろう。ルターはな、『たとえ明日世界が滅びても、今日私は林檎の木を植える』って言ったんだぞ!」。
 私は「うまい!」と思わず膝を打った。そうだ、そうだ、神さまへの信頼。そこにこそ希望がある!

2018年4月22日日曜日

百歳のKさん

 百歳のKさんを訪ねた。ご家族のご都合で半年ぶりの訪問だった。半年前に比べて、全体に調子は落ちてきているが、その下り坂は極めて緩やかだと感じる。ひとえに主の慈しみとご家族のお世話のおかげだ。
 両耳に補聴器をセットして頂くと、少しは聞こえるとおっしゃる。マグダラのマリヤが復活の主イエスに出会ったあの美しい箇所を読んだ。ニッコリ、ニッコリうなずきながら聞いてくださる。聖餐に与って頂き、愛唱の聖歌「驚くばかりの恵み」(アメージング・グレイス)を一緒に歌って、「主の祈り」を捧げる。
 主はこの恵みを、Kさんに付き添うお嫁さんにも分かち合ってくださっている。主に感謝!

2018年4月15日日曜日

どちらのリスクをとるかだと言われた

 整形外科の検診のため叔母を施設へ迎えに行った。
 いつもと叔母の様子が違う。無表情で、“チーン”と静まっている。ショックだった。この一ヶ月叔母には精神安定剤が処方されていることを知った。認知症の叔母に、「黄昏症候群」の症状が出たためだ。
 整形外科の医師にも意見を聞く。転倒による骨折か精神安定剤の副作用のどちらのリスクをとるかだと言われた。
 診察後、叔母が言った。「私のことを一番にしないでいいのよ。あなた達のことを先に考えて」。思いがけない叔母の言葉に、思わず涙が出そうになりながらかたく叔母の手を握りしめる。叔母がニッコリ笑った。
 何も出来ないと思うやるせなさを、主に委ねる。

2018年4月8日日曜日

この喜び

 「見ました、主を!主を見ました!」泣き笑いを繰り返しながら、マリアは走っただろう。ハレルヤ!ハレルヤ!一刻も早く、一刻も早く伝えなくては・・・
 主イエス・キリストの復活、それは死に打ち勝った新しい有様の新しい生命だ。種としてまかれた一粒の麦が新芽となって萌えいずるようなものだ。
 確かにわたし達は皆アダムの子として死ぬ。しかし、そのわたし達は皆キリストによって復活する。このことを主の復活後の日々に特に覚えたいものだ。
 新たな朝の、新たな光の中をひた走るマグダラのマリアの喜びに与りたい。復活の主と一つにされる喜び。救われた喜び。主を信じきる喜び。

2018年4月1日日曜日

おりしも

 鼻水と痰の絡む咳に加えて熱もある。これはてっきり風邪を引いたに違いないと病院へ行く。花粉症から副鼻腔炎を起こしていたことがわかった。
 おりしも聖木曜日から聖金曜日にかけて、ひっきりなしの咳と鼻水で眠られぬ夜を過ごしつつ、主イエスはこの夜、逮捕され、取り調べられ、茨の冠を被せられ、つばを吐きかけられ、鞭打たれ、愛弟子ペトロの裏切りを目の当たりにしたのだということを思った。
 しかし、十字架に死んで葬られた主イエスは復活された。山々は新緑で息づきはじめ、折しも桜は満開だ。「赦しあえ」「相愛せよ」と教えてくださる復活の主は、この桜の花陰にもおられるかもしれない。

2018年3月25日日曜日

愛せ。一致せよ!

 寒かったり、暖かかったりしながら春が来た。とうとう、教会の庭のチューリップが赤と黄色に実に可愛らしく咲き始めた。見ただけで心躍る。生命(いのち)とは愛であることがこれほどよく分かるものはない。
 今週は棕櫚の主日から始まる受難週に当たる。主はエルサレムで最後の時を迎えようとしておられる。聖月曜日から聖金曜日まで、そしてイースターへ向かって神の定めた救いの時は今日から刻々と進む。
 主は聖木曜日、十字架にお掛かりになる前に教えられた。生命とは愛である。だから、愛が憎しみによって分裂したとき、人は死ぬ。教会も死ぬ。分裂してはいけない。愛せ。一致せよ!(ヨハネ第一4:7−21)

2018年3月18日日曜日

創造の業を満喫する

 久しぶりの快晴、小田原朝祈会に説教奉仕をさせて頂くために、早起きして海岸沿いの国道を走る。
 丁度、春の太陽が上り、海の面には百万燭光の光の道が出来る。この神の創造の業を満喫するのは、まったくの恵みだ。
 今、この国道を通っている人たちは皆、この景色、眺めているんだ!このすばらしい景色を「ああ、いいなー」って感じているんだ!前の車、崖を曲がったところで、しだいにゆっくりとなった。ああ、右手前方には霞がかった三浦半島が・・・それを見てるんだ!
 神は罪人のわたし達を、恵みのうちに限りなく包んでくださっているのだと、しみじみ思いながら通る。

2018年3月11日日曜日

思い巡らし、心に留めます

 しだいに日は長くなり、暖かくなってきました。格別に冷たくて寒くて乾燥した冬も終わりそうです。
 この数日間は雨がよく降りました。おかげで乾燥していた庭がすっかり潤いました。水仙は咲き終わりましたが、気がついてみると教会の庭のチューリップが他の草花と一緒に大きくなり始めています。神の命がこれらの植物に絶え間なく注がれているんですね。
神の決して終わることのない地上でのすばらしい御業を感謝します。
 今日から四旬節の第四週です。自然ばかりか、私たちの人生においても主が為してくださっている一つひとつのことを思い巡らし、心に留めます。

2018年3月4日日曜日

あら、これだったの!

 歌声ばかりで姿が見えねど・・・と書いた画眉鳥(ガビチョウ)だが、その正体がわかった。
 その日の朝も、突然静けさを突き破って、高らかなさえずり声で目が覚める。ふむ!なんだかおかしい。いつも同じ鳴き方ではないか?どうも今朝は窓の外からと言うより家人の枕元あたりから聞こえてくるではないか・・・?ひょっとして、スマホ?あっ!この鳴き声、スマホから聞こえてくる!」
 当の人は自ら選んで「鳥のさえずり」を起床タイムに設定していたことをすっかり忘れていたらしい。ガラ携の私を尻目に一足先にスマホにした家人、目覚ましサウンドを再生して、「あら、これだったの!」。

2018年2月25日日曜日

四旬節に

 先日、用事があって先輩のT牧師に電話をかけたたが留守だった。「実は、灰の水曜日から一週間山ごもりをしていてね・・・」と後から連絡があった。
 ある姉妹は、教会家族や隣人の名前を「あ」から初めて、あ・い・う・え・お順に祈っているということを聞いた。また、別の姉妹は四旬節の間は、おやつを断って過ごすことにしたそうだ。
 我が家では、この時節を自分の弱さと不十分さをすべて主の恵みに委ねて過ごせるようにと、「謙遜」の小さな献金箱を作ってテーブルに置いた。
 冬の寒さはもうしばらく続く。しかし四旬節はイースターという光に向かって過ごす一日一日だ。

2018年2月18日日曜日

目覚ましどころでない

 1月のある朝、突然、夜明けとともに鳥たちの鳴き交わす澄んだ響きで目が覚めた。その響きは軽快で、音階やリズムは微妙にそして大胆に変化する。言葉で形容できず、音声で真似できず、人間の音楽の常識を超えている。以来毎朝、ほぼ決まった時間にやって来て、数分鳴いたあと飛んで行く。聲はすれども姿は見えずの主(ぬし)への興味は深まるばかり。
 野鳥の声の図鑑で調べてみると、画眉鳥(ガビチョウ)だとわかった。中国からペットとして輸入されたのが自然の中に放たれ、野生化したという。
 今朝も、澄み切った、大音量の目覚まし時計に起こされる。朝だ、朝だ。お日様おはよう!

2018年2月11日日曜日

小さな木の芽を見ながら思う

 立春も過ぎ、確実に日差しが伸びてきた。まだ寒いとはいえ、朝の日差しを浴びて、庭先の紫陽花の新芽は勢いが良い。よく見ると、枝ごとにポコポコ付いている新芽たちが何やら人間の顔に見えてくるのがたまらなくおかしい。あどけない、嬉しそうな表情だ。
 そう言えば、昔子供たちに読み聞かせた絵本を思い出した。名前は確か『木の芽合唱団』だったかな・・?
「僕らは、僕らは、木の芽だよ。パッパ、パッ、パッ、パッの木の芽だよ・・・」と元気に歌っていたっけ。
 小さな木の芽を見ながら神の親心を思う。今日は主イエスが山の上で、私たちに天の国をチラッと見せてくれた日だ。「さあ、これで元気になれるね!」と。

2018年2月4日日曜日

やんちゃ坊主も学んだらしい

 先日、ヒーターをつけてから間もなく、何やら焦げ臭い。毛糸の焦げる臭いだ。慌てて台所を見回すが火は使っていない。だとするとヒーターしかない!
 案の定、末猫のメルがちょこんとヒーターの上に座り、すまし顔で人一倍長い尻尾を垂れていた。尻尾の先の内側が黒く焦げて、毛先には針の先ほどの火の粉が点々とついていた。慌ててメルを抱き下ろしたが、焦げた純毛の毛は指でこするとそこだけ無くなってしまった。メルには気の毒だが思わず爆笑してしまった。
 石油ファンヒーターは温風どころか、間近では熱風が出るのだ。以来、やんちゃ坊主も学んだらしい。"ヒーターの上では尻尾は丸めること"と。

2018年1月28日日曜日

大満足の誕生日

 わたしの誕生日はこの1月だ。土曜日なので、誕生日祝いは当然のように<無し>となった。牧師にとって土曜日は翌日の日曜日のための日だからだ。
 心のどこかで子供たちから"Happy birthday"メールが来ることを期待した。しかし、翌日は何もなく、翌々日、LINEに長男から突然のメッセージが入った。「父さん、誕生日?」と長男。「イエス」と私。長男「やっぱり、なんか忘れてるなーってさ」。「お誕生日おめでとう!」「お父っつあん、I Love You」。すぐ長女からケーキと花束のスタンプがLINEで送られてきた。
 嬉しいじゃないか!大満足の誕生日だ。この一言、<誕生日おめでとう I love you>これで充分。

2018年1月21日日曜日

あの日、あの時、あの場所で

 それは主イエスがヨハネから洗礼を受けてほぼ2ヶ月余り経った、2月の終わり頃のことだ。早春の陽射しは明るく強くなり、何かが始まろうとしていた。
 そんなある日、シモン・ペテロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネの二組の兄弟は主イエスに出会った。ガリラヤ湖で彼等は網を打って、漁をしていた。主は福音宣教をするために、この日彼等を招かれた。
 主イエスに出会った喜び、招かれた喜びをなんと言えば良いのだろう。新しい何かが始まる!
 「あの日、あの時、あの場所で、君に会えなかったら・・・」主イエスとの出会いもだ。私にも、あなたにも「あの日、あの時、あの場所」がある。

2018年1月14日日曜日

ウルトラマンの星も

 今日も絵に描いたような冬型の天気だ。朝に青空を吸い込み、夜には星空を仰ぐ。しかし満天の星を眺めても、星音痴の私にわかるのはオリオン座くらいだ。
 この冬、ラジオの「冬休み子共科学電話相談」で、「ウルトラマンの星のM78はどこにあるんですか?」と小さい子が質問していた。答えに聞き耳を立てた。
 オリオン座の三ツ星の一番東側の星の上の方にあるぼんやりした星雲で、地球からの距離は1600光年だ。とっても遠いんだよと先生。「ウルトラマンはそこで生まれたんだよー」とその子は元気に言った。
 今晩もオリオンの腰に下げた剣を見つめながら、気の遠くなる光年の距離も神の御手の中だと思えた。

2018年1月7日日曜日

飛行雲

 2018年の新しい年が明けた。雲一つない青空を飛行機雲が頭上をぐんぐん上ってゆく。天空に躍り出たでっかい白龍がうれしくて、思わずしばらく見とれてしまった。ホラ、足もある、尻尾だって伸びてきた・・・

   大空を 真っ二つや 飛行雲
 
 わたし達はキリストにあって日々新しくされ、新しい人として生きる。それは「自分は自分、他人は他人」ってことじゃない。聖霊はわたし達をキリストにある一致に向かって大胆に導き続けておられる!