2017年12月31日日曜日

神の恵みを頂く器

 宗教改革500年の記念の年、2017年も今日で終わりだ。教会の外壁に張り出してあるマルティン・ルターの肖像の入った大きなバナーともいよいよお別れかと思うと、少々寂しい。
 中学生たちが教会の前を、「あっ、ルターだ!」と言って指差して通って行くのを二三度見た。彼等は授業で「ルターは宗教改革のヒーロー」だって習うのだろうか?もしそれだけなら、ちょっと理解が浅い。
 私たちもそして君達も、人間はみな神の恵みを頂く器として愛されて今を生きているのだよとルターは伝えたんだ。聖書はその恵みの神について書いてある。
 このツィートを読んだら、教会にぜひ来て欲しい。

2017年12月24日日曜日

満ち足りる幸い

 羊飼いたちは、天使の言葉を受け入れて、そして、ベツレヘムに急いだ。幼子イエス様のいる厩を見つけるのは、きっと簡単じゃなかったんだと思う。
 でも諦めずに、厩から厩へと訪ね続けた。そして、とうとう幼子が眠っている飼い葉桶をみつけたとき、それはもう、喜んだ。「天使のお告げ通りだ!」
 厩も、飼葉桶も質素だった。しかし、神様は御子の誕生に必要なものを満たしてくださった。幼子イエス様が与えられて、マリヤとヨセフは満ち足りていた。
 昔々のクリスマスの夜、羊飼いたちはこの不思議な光景を見て信じたと聖書は伝える。クリスマスは神の無償のプレゼント。満ち足りる幸いを今に伝える!

2017年12月17日日曜日

ハレルヤ三唱

 今年もクリスマス・チャリティコンサートで「メサイア」を聞いた。中学生の頃、クリスマスが近づくと「クリスマスはメサイアよ!」と叔母がよく言っていたことを思い出す。しかし、当時の私は「メサイア?それ、いったい何のこと?」と、思っていた。
 後になって、「メサイア」はヘブル語のメシアのことで、「油を注がれた者」の意味だと知った。それは神様から特別の使命を与えられた者に対して使われた言葉で、そこから「救い主」の称号となった。
 「ああ、メサイアって、イエス・キリストのことか!」と大いに納得して以来、主キリストは私のメサイアとなって共に歩んでくださっている。ハレルヤ三唱!

2017年12月10日日曜日

ネガティブ・ポジティブ

 アドヴェントのこの季節、思わぬ恵みに与った。
 家人はコンビニでクリスマスカードをコピーして、それをクレジットカードで支払った。丸一日経った翌日、カードをコピー機に忘れてきたことに気がついた。かつて米国でカード被害にあった経験のある家人は青くなった。私は「たかだかコピー代にカード払いは不注意すぎる」と、家人の傷口にさらに塩を塗ってしまった。
 しかし、感謝なことにカードはコンビニの店頭に届けられていた。ありがとう!どなたかの誠実さに助けられました!
 家人のミスも私のネガティブ発言もすっかりおおわれて、なお余りある恵みだった。ネガティブは罪だが、恵みはあくまでもポジティブだと心にしみる。

2017年12月3日日曜日

りんりんりんりんと

 アドベントは忙しいが、一年で一番心が躍るときだ。クリスマスの準備をしながら次第に心が整えられる。
 忙しい合間にシュトーレンブレッドと紅茶でホット一息つくのはアドベントのこの時期の格別の楽しみだ。
 嬉しい、楽しいクリスマスがやってくる。・・・子どものすーきなイエス様のお生まれなさったこのよい日・・・である。
 子ロバのように、子どものように、イエス様をお迎えしたい。りんりんりんりんと遠くから聞こえてくる鈴の音のように、イエス様の訪れに耳をかたむけながら・・・今日から待降節が始まった。