2016年6月26日日曜日

その響き実に爽快

 6年ぶりに帰国した末娘を連れて、伊豆のホームに伯母を訪ねた。まもなく100歳になる伯母は40年ほどをアメリカで過ごして、60歳を過ぎて帰国した。
 白髪の頭をしっかり持ち上げて、背筋を伸ばして、真正面をむいて車椅子に座っていた。「ご無沙汰していました。お元気で何よりです。」と声をかけると、「私、何もかもすっかり忘れちゃったのよ。」と言いながら笑顔で迎えてくれた。家族の近況を報告し、今は天の国に憩う人達の名前を挙げて懐かしむ。
 最後に、讃美歌を一緒に歌った。「主、我を愛す」を初め日本語で、次に英語 “Yes, Jesus loves me!”と何度も歌った。“Yes!”とその響きが実に爽快だった。

2016年6月19日日曜日

アドナイエレ

 梅雨に入った。日中は蒸し暑いが夜になると冷えてくる。油断をしてすっかり風邪をひいた。風邪をひくと、思考力も記憶力も鈍る。先日も、ある信徒さんのところへ聖餐をお持ちしたことはいいのだが、肝心のホスチアを忘れてしまった。ちょうど家人が焼いて持参したケーキを小さく切って、聖別する。「主の山に備えあり(アドナイエレ)」だと感謝だった。
 ところが、この風邪が家人にも感染って、家事はストップ。冷蔵庫を開ければ納豆、野菜、トマトジュースがある。「備えあれば憂いなし」だと、胸を撫で下ろす。けれどこれって、きっと人間の備えなんだ。人間の力の及ばないところに主の備えがあるのだから。

2016年6月12日日曜日

Be nice”(ナイスであれ)

 「まあ、緑色の綺麗な目をしている」とは、通りかかった中年夫婦が我が家の黒猫ドッティを見ての会話だ。家の前を通る人に寄って行って愛嬌を振りまいているのだ。そういえば今朝方、老婦人が我が家の灰色猫をしばらく撫でていた。家人によれば、彼らには他にも人間の友達が何人もいるらしい。
 かつてはよその人が玄関に来ただけで、家の奥に逃げ込んでいた臆病者だ。この変わりようには驚く。
 まさかと思うが、牧師館で飼われている猫だという自覚があるのかもしれない。どんなときにも “Be nice”(ナイスであれ)と言い聞かせている家人の言葉通り猫は自覚していたとしたら・・・僕よりスゴイ!

2016年6月5日日曜日

「しつけ」だった

 「人を噛む子は犬と同じだから、犬のところに行きなさい。」と、近所の学童保育所の犬小屋のところに行かせた。長女がまだ2歳の頃だった。
 長女に毛布をもたせると、「ほんとうにナーちゃんを犬にあげちゃうの?」と長男は泣きそう。それなら僕も行くという5歳年上の長男と長女を一緒に犬小屋の前に置いて来たことがあった。「しつけ」だった。
 筋を通さなければという「正しさ」と、親は子どもに負けてはならないという「恐れ」があった。そんな未熟な親だった我が身を振り返り、大和くんのことは人事ではない。ひたすら無事を祈っていた大和くんが戻された。主よ、あなたの憐れみに感謝します!