2016年3月27日日曜日

死んでも君を離さない

 「イエスの復活」を描いたイコンの中に、陰府(よみ)に降ったイエスが人間の祖であるアダムとエバを、死の床から引っ張りだしているフレスコ画がある。十字架の死後、すぐに復活されなかった訳はそれか!と初代正教会の信仰を知って、少なからず衝撃を受けた。
 ところで、年配の方はポール・アンカという歌手のデビュー作『ダイアナ』をご存知だろう。“I love you with all my heart”(心の限りあなたを愛している)“Oh. please stay with me”(ああ、どうか私と一緒にいて欲しい)と原作に繰り返されるが、日本語の意訳が実に利いている。「死んでも君を離さない/地獄の底までついて行く」。これって、まるで死へとくだるイエスじゃないか!

2016年3月20日日曜日

ほくほく

 先日は海の向こうに住む末の娘の誕生日だった。日本の食品をなにか送ってやりたいと、こころばかりのものを送った。
 送って一週間が経ったが、本人からはなにも連絡はない。国際小包の配送状況はインタ−ネット上で追跡できる。見れば「配達完了」となっていた。
 けれども、家人はどうしても娘のことばが聞きたいらしく、メールを出す。「届いた?」。直ぐに返事がきた。「届いたも ほくほく ありがちょ○」。この○は彼女の名前の最初の一文字である。
 二人で思わず笑ってしまった。まったく!末っ子と言うものは幾つになっても親を楽しませてくれる。

2016年3月13日日曜日

泣けて仕方がなかった

 3.11から5年の節目を迎えた。あの日、自分は何をしていたのか思い出した。そう、授業中だった!
 あの頃、私はまだ神学校の学生で、落第が決まったばかりだった。震災の二日後はアメリカにいる家族の元へいく予定だった。ところが、交通機関は混乱をきわめ、とうてい成田へなど行きつけない。諦めて、なんとか二日後のチケットを買い直してアメリカに行った。
 着の身着のままで飛行機に乗ったらしい。家族が、私の身なりを見てびっくりしていた。妻や子どもたちに会って泣ける。地元の教会で礼拝後に頼まれて震災の様子を話したが、泣ける。何を見ても泣けて仕方がなかった。未だ厳しい状況にある方々を覚えて祈る。

2016年3月6日日曜日

わたしを可愛がって

 この二三日、お転婆なミント(猫)がおとなしい。キャットボックスにすっぽり入ったまま出てこない。怪我か?どこか体の具合でも悪いのではないか?あちこち触ってみるが、取り立てて異常はないようだ。
 飼猫であってもこうなのだから、これが我が子であれば「何をか言わんや」である。が、現実には子どもの虐待が繰り返し報道されている。
 子どもを育てることは、言ってみれば親の献身のひとことに尽きる。親は理屈抜きで、子どものために体が動く。あのまぁるい、フラットな顔にちょこっと目鼻のついた、四等身のプニョッとした体つきはどう見ても、「わたしを可愛がって」と言っているではないか!