2016年10月30日日曜日

決戦の日曜日

 今年の日本シリーズがおもしろい。ちょこちょこラジオに聞き耳を立てたり、ちらちら横目でテレビ画面を眺めて観戦したりしている。
 ゲームは雰囲気に呑まれることもあるというが、広島ファンのあの赤一色の燃えるような熱気と白一色で白熱した日本ハムファンの姿が印象的だ。
 ところで、7戦まで観戦したい私とすれば、土曜はタイになり、そして次が「決戦の日曜日」と願いたい。
 ・・・が、我が家には全く興味のない人が一人いる。話しても反応がないばかりか、「ラジオの音は小さくね」と言われる。嗚呼!一度でもプロの生観戦に連れていけばよかったな。

2016年10月23日日曜日

そうすれば

 叔母が圧迫骨折で2度目の入院をして2週間余りになる。夕方ちょっと顔を見に行くが、たいていはぐっすり眠っている。耳が遠いので話しかけても目を覚まさない。手を握ったり腕を擦ったりして帰って来る。
 昨日のことだ。やっと目を覚ました叔母は、「とっても身体が楽なのよ。皆さんよく協力してくださって…」と言う。見れば本当に穏やかな表情だ。
 前回は、入院早々から認知症がひどくなると言われ続けて、叔母も緊張していたし、こちらも疲れた。物事には両面あるが、心配を口にすることは決してプラスじゃあない。まず神を畏れ、愛すべきだ。そうすれば「すべてのこと相働きて益となる」と言えるんだ。

2016年10月16日日曜日

神に選ばれた人たち

 娘の住む米国の小さな町が、ハリケーンで街と幹線道路が水没し孤立。電気と水と食料が絶たれた。車からスマホをチャージしてLINEで知らせてきて知った。
 やもめが不正な裁判官に「裁判をして、私を助て」っと叫んでいる。このやもめは神に選ばれた人だ。このやもめのように「昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちを、神はいつまでもほうっておかれない」と主イエスは言われる。
 もう一週間以上。あなたの今の状況、すごく大変だよね。でもこの今の試練は神の選びの中にあるって受けとめると、なんだか勇気が湧いてくるよね。
 主のために頑張って!みんな祈っている。

2016年10月9日日曜日

内覧会に招待され

 お隣に延べ面積約一千坪の創価学会の文化会館が完成して、その内覧会に招待されて行ってきた。
 基礎工事から完成まで一年半がかかった。会館は震度7にも耐えうるという。いざという時は、町の災害時の避難所として提供したい。だから門戸は施錠していないという。そうだ、それでこそ宗教だと納得する。
 そういうわたし達も、あの半端でない騒音と塵埃とを気にかけないよう、よく協力してきたものだと振り返る。正直なところ、重荷を背負っているあの人のこと、この人のことを考えると、騒音に気を取られる暇もなかった。主に感謝することは、毎日の生活のどんなことにもあると気付かされた。「主よ、感謝します」。

2016年10月2日日曜日

わたしはそれを満たそう

 月が変わってカレンダーをめくる。忙しい月だったが、今年も後3枚を残すのみとなったと気づいて驚く。時間が速く過ぎ去る実感は年ごとに加速する。
 「少年老いやすく、学成りがたし」「一寸の光陰、軽んずべからず」のことわざが頭をよぎるも、還暦を過ぎれば、「時すでに遅し」の感がしないでもない。が、そこはキリスト者の強みがある。
 気を取り直して聖書に向かう。すると、こんな言葉が目に入った。「口を広く開けよ、私はそれを満たそう」(詩篇81:11)。口ばかりか、目も耳も手足も使い、マインドをオープンにすれば、恵みはあふれるばかりだねと主がおっしゃる声が聞こえた。