2016年9月25日日曜日

キリストの花嫁

 施設で暮らしていた◯さんが天に召された。ご高齢だった。主が最後の時にも共にいてくださった事がわかる、そういう静かな表情だった。
 これまでお訪ねするたびに、若く美しい花嫁姿の◯さんの写真が机にぽつんと立ててあって、彼女の寂しさが伝わって来た。そんな時は、聖餐と讃美と祈りがそこにいるわたし達を満たしてくれたものだ。
 神は見えない、確かめられない。だが、もし私たちの間に慈しみと愛と信頼があれば、そこに神はおられる。人間の愛はあてにならないが、神の愛は完全だ。今ごろ◯さん、あの花嫁姿で天国に入場している頃だろうか。キリストの花嫁として。

2016年9月18日日曜日

神の助けによって

 先週、娘の結婚式があった。
 「あなたは、◯が病気の時にも、健康な時にも、他の者が見捨てるような時にも、夫/妻として守りますか」。この中で「他の者が見捨てるような時にも」という誓いの言葉がスゴイ!
 少し前の話になるが、罪を犯した息子の面会で、ある母親が涙をこらえながら息子に言い切った言葉を思い出す。「でも、私はどんなことがあっても、あなたのお母さんだから」。この時もスゴイと思った。愛は神からのもの。
 新郎新婦は「神の助けによって、約束します。」と答えた。神の助けに支えられて幸せに!

2016年9月11日日曜日

とうとう見つけたぞ!

 羊飼いの囲いから迷い出た一匹の羊も、女が無くした一枚のドラクメ銀貨も、自分がどんなに探されているか気付かない。
 それでも羊の方は生きていて草を食んでいたり、不安になってメイメイ鳴いていたりするかもしれない。
 しかし銀貨の方は、家の片隅でただホコリの中に埋もれてじっとしているばかりである。「親の心子知らず」ということわざがぴったりの主イエスの喩え話だ。
 見つけた方がどれだけ真剣に捜したか。そして見つけた時にどれほど喜んだか。この神の忍耐、愛、喜びを知る時、本当に深い安心感、喜び、信頼、感動が起こってくる。神の大きな喜びは神の忍耐の表裏だ!

2016年9月4日日曜日

秋よ、お出で、お出で!

 9月になった。ギラギラ太陽は変わらずだが、すでに風には秋の気配がただよう。暑かった夏もそろそろ終わりだ。
 さて、この夏もっぱらエコ生活を通したはずだが、返って肥ってしまった。朝食は口当たりのよいシリアルと豆乳、昼食は蕎麦、夕食は素麺を食べて過ごしたからだろうか。そろそろ夏前の生活に戻したいが、実際はまだまだ暑い。なるべく火を使わないエコ炊事の食事はもうしばらく続きそうだ。
 小田原からの帰り道、今日はススキの子が白い穂を風に揺らしていた。「秋よ、お出で、お出で!」と呼んでいるようだ。