2015年10月25日日曜日

あなた方はさいわいだ

 身体や心に病をもつ人たち、苦しみ悩む人たちがぞくぞくと主イエスのもとに集まってくる。主は彼らに向かって「あなた方はさいわいだ」と宣言される。 
 人は、突然の病気や予想もしなかった困難な状況に陥ると、そうではなくても、これは「自分に何か落ち度があったからだ」と、つい自分を責め始める。
 だが、自分がマイナスだと思い込んでいるものを、主は、さいわいなものへと造り変えてくださる。
 マルチン・ルターは「懺悔」することを教えてくれた。罪を告白し、赦しの宣言を受け、私たちは新しくされる。懺悔によって、初めて私たちは癒される。「癒やし」とは本来そういうものだ。神からの祝福だ。

2015年10月18日日曜日

歌いながら手を繋ぐ

 一週間に一度、彼の好物を持って主にある友人を病院に尋ねる。面会室でしばしのお茶の時を持って、一週間の話をゆっくり聞かせて頂く。
 心を病む彼には、親しい家族はもういない。孤独と将来の不安から「虚しくなりました」というのがこの頃の彼の口癖である。なんとか彼の支えになりたいと願う。聖書の学びと祈りのあとで一緒にテゼの讃美歌を歌う。「恐れるな わずらうな 主は共におられる 満たされる あなたは 神によって・・・」歌いながら手を繋ぐ。主が私たちの輪に入ってくださる。
 彼が救われ、主に委ねて生きてゆけるようにと祈りながら、牧者としての試行錯誤の道はまだまだ続く。

2015年10月11日日曜日

平和だからこそ

 昨年に続くノーベル賞受賞の快挙は何とも嬉しい。
 一つは、足元の土の性質に目を向けたもの。土から発見した細菌から感染症のワクチンを開発し、熱帯地域に住む発展途上国の人々を救った功績による。

 次は土から空に。世界の自然法則を理解したいという、人類の根源的な好奇心はとうとう目に見えない素 粒子ニュートリノに質量があることをつきとめた。
 澄み渡った秋の空を見ながら思う。肉の目では見え ない世界を遊び心で思い巡らすことは、神の創造され た世界を思うことだ。平和だからこそ、土中の微生物や宇宙の成り立ちにも取り組める。
 この世界に主の平和が満ちますように。

2015年10月4日日曜日

自らに問う。捨て切れるか?

 またアメリカで銃の乱射事件が起きた。尊い命が犠牲となった。オバマ大統領は、銃の規制を強く叫ぶ。 「米国は先進国で数カ月おきに、こうした銃乱射事が 起きる世界で唯一の国だ」と。しかし、銃を捨てられない勢力は相変わらず頑固で根強い。
 主イエスは、永遠の命にあずかるには片手片足を切り捨てても、と言われる。随分過激な言葉に聞こえるかもしれないが、両方を守って死に至るくらいなら、確かに片方を切り捨ててもまことの命にあずかりたい。
 物事には大切な順序というものがある。一番大事なことのためには、二番目以下のことを手放すのは当然だということだ。自らに問う。捨て切れるか?