2015年4月26日日曜日

日差しにつられて

 ウグイスの声がした。「ホケッ」とか、「ケキョ」とかの「まだまだだなぁ」というのではなく、「ホ~ホケキョッ」というフルスケールの美声である。     
 昨日、「今年はウグイスが鳴かないね」と話した矢先の事だった。久々の天気につられて、ようやくウグイスも歌いはじめた。姿は見えないが、近くの木立にいるにちがいない。花匂う春にほれぼれする歌声である。家人が家猫に言い聞かせている声が聞こえてきた。「いい子だからね、絶対に鳥を捕って来ないでね。それからトカゲもバッタもね」ウグイスの鳴き声に聞き耳を立てているのは人間ばかりではないようだ。家猫の耳もしきりに動く

2015年4月19日日曜日

わくわくで行こう

 「わくわく聖書の会」に、「今日はお天気が良いので来ました」と◯さんがしばらくぶりに来られた。「天気が良いのは、本当に気持ちが浮き浮きしますよね」と□さんが同意する。「お天気が良いとね、私も機嫌がよくなるのよ」と△さんも口をはさむ。
 お天気にかこつけて、同調しあうというのはいい。その場の雰囲気がやわらいで、久しぶりにやって来た◯さんの緊張がほぐれてくる。
 コーヒーが出されて、更に気分がなごんできたところで、「わくわく聖書の会」を始める。ともすればシリアスになりがちな聖書の学びだが、あくまでもわくわくで行こう。

2015年4月12日日曜日

クレソン摘んで

 某先生が一時間で楽しめるよといって、クレソンを摘みに連れだしてくださった。車でいくこと10分ほど。幕山公園の中の渓流に目当てのクレソンが自生していた。まるで自分の庭を案内するように公園のアチラコチラを案内してくださった。青く澄んだ空に、シャクナゲが満開だった。
 湯河原に来て3年目になったというのに、生来の遊び下手に加えての要領の悪さで、なかなか手近な楽しみにも手がつけられない。
 摘んでいると、野生のクレソンの香りがしてくる。ものの数分でたちまち小袋いっぱいに摘んだ。先生のご好意に感謝しながら、久しぶりに春を楽しんだ。

2015年4月5日日曜日

泥だらけの足

 主イエスは最後の晩餐で、弟子たちの泥だらけの足を一人ひとり洗われた。主は「あなた方も洗い合いなさい」と教えられる。
 しかし、現実には泥だらけの足を洗うのは、どれだけ大変なことか!相手の一番醜ところ、嫌なところを大切にすることはどれだけ堪忍が要ることか!できれば、触れたくない。相手になんとか変えて欲しいと思っている、それが私たちの現実だ。しかし、主は泥だらけの私たちの足を一人ひとり洗って下さる。
 聖木曜日、我が足を洗い拭ってくださった主に倣い、私も来られた方の足を洗わせていただいた。洗足は洗われる方も、洗う方も共に恵みだと知った。