2014年9月28日日曜日

せめて、これくらいはしたい

 この月曜日に一ヶ月ぶりに都内に出かけたが、小田急線の車窓からの眺めがすっかり秋になっていた。
 私には89歳の叔母の他に、もう一人97歳の伯母がいる。今は伊豆にあるホームで暮らしている。米国で30年余年を過ごした伯母は生涯独身だった。
 その伯母に、毎月一回アメリカから送られてくる年金の手続きのために都心に出かけてゆく。忙しいのと距離があるため、伯母を訪ねることはめったにない。
 心のうちで不孝を詫びながら、せめて、これくらいはしたいと、今日も月に四度の休みの一回を伯母のために使う。
 暑さは過ぎた。初秋はきっと伯母にも優しかろう。

2014年9月21日日曜日

ここを見て下さい

 木曜日の朝、『聖書に親しむ会』の看板を出した。しばらくして高齢の夫婦が教会の前を通って行く。看板を見ながらの話し声が聞こえてきた。
  「へー、『お茶とお喋りのくつろいだ時』だって。わたしらお茶もお喋りも、いつもしているよね~」。そう聞いて、思わず吹き出した。
 しかしである、私としては、その上の一行を読んで欲しかった。『聖書に親しむ会』の一行を。
 お茶とお喋りは付け足しである。つまり、お茶とお喋りがあったほうが気軽かな?と思ったに過ぎない。だが、これは考えものかもしれない。
 さて、今度は『聖書に親しむ会』とストレートに大書してみるか。

2014年9月14日日曜日

山盛りのイサキ

 昨日のこと、地元で捕れた新鮮なイサキを格安の値段で買って帰った。皿にひと盛りのイサキ。家に帰って数えてみると小さいが18尾入っていた。
 ひと手間かけて鱗を取り、腹わたを出して塩をせずにグリルで焼く。さすがにイサキは高級魚だけあって、小さくても味のよさはなかなかのものだ。
 丁度、夕飯を差し入れてくださったHさんに、失礼を顧みず、焼いたイサキを何尾か持ち帰って頂いた。それから今か今かと待っていた我が家の猫達にもお頭つきを一尾ずつ。
 海の幸を人も動物もみんなで惜しげも無くわかちあえる豊かさも、たまにはいいものではないか!

2014年9月7日日曜日

一歩、また一歩

 8月半ばにいただいてきた「夏すみれ」ことトレニアが20日間を超えてもなお咲き続けている。
 蕾をすべて咲かせきったばかりでなく、切り取った茎からは、糸のような根まで生え始めた。実に力づけられる。
 このところ心を病む方から電話をいただくことが日常になっている。今朝も不安げな電話が来た。
 「家族は出かけて一人。その後「人が怖くて外出できない」。しばらくして「勇気を出して外出したい。祈ってほしい」。またしばらくして、「外出できた。いま駅にいる。これから帰る。再びしばらくして「無事家についた。ありがとう」。最後はすっかり弾んだ声だった。
 草花と主に支えられつつこの方の声に耳を傾けた。