2014年6月29日日曜日

遠慮のない仲

 すっかり大人になった息子が帰ってきて、家の中の空気が和んでいる。
 どこの家でも夫婦の意見が違うというのはままあることで、我が家も例外ではない。
 一対一だと互いに言い張ってせり上がる。余裕の無いときはなおさらだ。「あなたの方がおかしいわよ」「いや、そういうことじゃないね」と、つい声が大きくなる。
 しかし、このところよく話を聞いてくれる仲裁役の息子がいる。話を聞いてもらえば治まることもあると、牧師たるもの、当然解っているはずだが、遠慮がない仲ではどうしても言いたい事が先に立つ。自戒を込めて思う。傾聴するところに神はおられる。

2014年6月22日日曜日

膨らむ笑顔を抑えきれない

 息子から、京都に来ているからと突然電話がかかってきた。「おとっつぁん、ちょっと聞きたいんだけれどね、教会でお香、炊く?」「?、いやー、うちの教会ではお香はたかないね」と応じる。 
 すると、「おっかさんは、お香が欲しいかな?」と再び聞いてくる。「じゃ、『おっかさん』に代わるから」と笑いながら妻に受話器を渡す。 
 妻は「おっかさんなんて言わないで。マミーと言いなさいなさい!」と言いながら、もう大変な笑顔だ。 
 久しぶりの息子の電話に妻も私ももうバカみたいに膨らむ笑顔を抑えきれない。二年ぶりだろうか、息子が帰国した。お香を母に贈ろうという。

2014年6月15日日曜日

紫オーラ

 6月も中旬となった。からりとした青空はとうぶん望めそうにもない。梅雨の曇天を見上げて恨めしい気がするのは私ばかりではない。外出もままならないとか、洗濯物が乾かないとか、こう毎日雨ばかりでは気が滅入る方もおられよう。
 しかし、牧師館の庭の紫陽花は雨の中で青に紫にひときわ輝いている。「きれいですね」と紫陽花を褒めながら通って行く人がいる。「どうぞ、よろしかったらお持ち下さい」と家人が応えている。
  確かにオーラを放ちながら、紫陽花は日毎にその色を変えてゆく。しばらくはこの色の変化を楽しむとしようか。梅雨もさほど悪くはないかな。

2014年6月8日日曜日

実に得意げ

 先週のあの病気の猫のことだが、注射の効果で涙目は止まった。だが、鼻詰まりは変わらずで、食べないし飲まない。このままではいずれ死んでしまう。
 そんな心配をしていた日曜日、礼拝と懇談を終えて帰ろうとしたその時、老婦人がやって来た。飼い猫が金曜から帰って来ず、この辺りを探しているという。
 特徴を聞けば、我が家に連れ帰ったあの猫に違いない。持病をもった仔猫が捨てられているのを可哀想に思い、ご夫婦で世話してすでに6年だという。手作りの決まった餌しか食べないと知った。
 すぐに、猫を届けた。猫のミーちゃんは家の中を実に得意気に歩きまわった。祈りは聞かれた。万々歳である。

2014年6月1日日曜日

病気の猫もやってくる


 先日小田原教会の信仰入門講座で集まっていた時のこと、ズィー、グジーと変な音がしてきた。一匹の迷い猫が窓の外にいて、その奇妙な音は詰まった鼻で懸命に息をするたびに出るとわかった。病気なのだ。水と餌をやろうとしたが逃げてしまった。
 三日の後、帰ろうと車を出しかけたその時、あの猫がやはり苦しげな音をたてながら現れた。今日は近づいても逃げない。小田原教会の庭に病気の猫が救いを求めてやって来たのだと思った
 抱きかかえて獣医に直行した。ひどい風邪だという。注射とノミの薬を処置してもらって連れ帰った。
 どうぞ、この小さな生命をもお救いくださいと祈る。