2014年4月27日日曜日

こんなときにも神頼み

 早天礼拝から戻ってくると、珍しく飼い猫のジェイの姿が見えなかった。夜になって雨も降り始めた。
 普段なら、大慌てで帰ってくるはずだが、近所を呼び歩いても気配がない。尋常ではないと不安がよぎった。妻はもっと遠くまで探しに出ようと身支度をした。
 わたしは自分の願と引き換えに、ジェイを無事に戻して下さいと祈った。そして、ドアを開けた途端、濡れ鼠のジェイが飛び込んできた。
 「ジェイ、よく帰ってきたね!」ジェイを抱き上げた。不覚にも、鼻がムズムズした。妻は耳がちぎれても、尻尾が折れても、生きてジェイを戻して下さいと祈ったそうだ。
 いつくしみの主に感謝!

2014年4月20日日曜日

フリー・ギフト


 今や、クリスマス・セールは世界の各地で風物詩なのに、イースター(復活祭)・セールというのは、まるで聞いたことがない。
 ユダヤの『過越しの祭』の期間中に、イエス・キリストが処刑されたことを聖書はつげている。だが受苦と十字架の死の後に、キリストは復活された。それを思えば、キリストの復活を祝うイースターが世俗化しないのは、むしろ当然である。
 主の十字架と復活によって死は打ち破られた。キリスト者は復活の信仰と希望を生きる。信仰は教えではない。ましてや義務でもない。信仰は、天の父が私たちにくださった無償の贈り物だ。喜びだ。

2014年4月13日日曜日

「今日もまた、サンキュ−・ジーザス」

 ある人のメールの最後に「今日もまた、サンキュ−・ジーザス」とあった。「今日も、また」という言葉に新鮮さを感じた。
 この人は自分を甘やかさず、夢を追い続けている。忍耐も努力も要る。きっと毎日が挑戦と感謝との繰り返しに違いない。翻って牧者の自分は、伝道の日々を、今日もまた感謝と言えているかと自問する。
 この日曜日から受難週が始まる。主イエスの十字架のおかげで、私(たち)は、今、救われている。
 この喜びを、まっすぐに伝えよう。これが私の夢、私の挑戦、私の感謝。その日その日の恵みに生かされて、「今日もまた、主に感謝!」

2014年4月6日日曜日

信徒魂


 思い出すが、2013年4月3日、昨年のこの日、私達夫婦はここ湯河原駅に降り立ち、小雨の中を牧師館へ向かった。
 それから引越しトラックが着き荷物が降ろされた。すると、祈祷会だからと引っ張りだされた。祈祷会?その日は水曜日だった。
 ここでは引っ越し荷物をほどくいと間もなく、まず祈祷会をするのですか?と内心驚いたものだ。
 しかしこの祈祷会、牧師が病気の時にも出張の時にも信徒の方々によって休むことなく続けられている。
 神によって集められた小さな群れは「礼拝」と「聖研・祈祷会」という教会の両輪をはずさない。この信徒魂に感じ入り、また誇りに思う一年後の今日である。