2013年7月28日日曜日

ものは試しと

 [ 砂抜きをしてください ] という注意書きがついてアサリが売られている。ところが、水と塩の割合も浸しておく時間もわからない。砂抜きに失敗すれば食感は台なしになる。食べたいと思いながら手が出なかったのだが、「砂抜きは50度のお湯に5分浸すだけでよい」ということをインターネットで知った。
  ものは試しと挑戦した。まずはアサリを下洗い。給湯器の温度を50度に設定。温度が下がると雑菌が繁殖するというので50度のお湯を足しながら待つ事5分。
 バター焼きにした。砂もなく身はぷりぷりとして美味しい!「砂抜きは海水に近い塩水でするもの」と思っていた。何にでも思わぬやり方があるものだ。

2013年7月21日日曜日

ゴウヤは語る

 10センチに7センチに5センチとカレンダーに書き込んだ。ゴウヤの茎にできたイボイボの小さな膨らみを、これが実になるのかと眺めたのは1週間前か、それとも2週間前だったろうか。この1週間でぐんぐん大きくなった。計っておこうと定規を当てた。
 教会家族のお宅で、種から育てられた3鉢である。教会の窓の外に張ったネットに触覚のように蔓を伸ばしながら成長してきた。絡み合った蔓を何度かほどいてやった。今年もグリーン・カーテンを目指して成長中のゴウヤ。人は植え、水を注いだ。(一コリ3:6参)
 「でも、成長させてくださったのは神です」とゴウヤは語る。

2013年7月14日日曜日

だから答えは「Yes」

 「生物が絶滅しても夕焼けは赤いか」という詩がある。「色は対象そのものの性質ではなく、むしろ対象とそれを見る者との合作だ」というのだ。だから、見る者がいなくなったら、物は色を失う。世界は本来、無色なのであり、色とは自分の視野に現れる性質に他ならないと詩人は言う。
 夕暮れの空を見上げて、神が天地を創造される前はどうだったのかと考えた。混沌と闇、確かに色は無かったはずだ。光が創られ、青く輝く地球を赤い夕焼けが彩った。天も地も、人間も美しく創造された。
 だから答えは「Yes」。終わりの日にも、主と共にながめる夕焼けは美しいに違いない。

2013年7月7日日曜日

労りあいを感じた

 牧師館の前の坂道を下ったところにゴミの回収場所がある。学校に向かう子、身なりを整えた通勤途中の人、普段着のお母さん、犬を散歩させる人、車で行く人、朝、様々な人がゴミ袋を持って坂を降って行く。
 「ちょっと休めば?」両手にゴミ袋を提げて、すたすた降っていくおばあさんが振り返りながら声をかけた。「だぁいじょうぶ!」という返事があった。見ると、ずっとうしろを、片手にゴミ袋を下げたおじいさんが杖をつきながら降ってくる。
 二人の何気ない会話に年輪を重ねた夫婦の労りあいを感じた。ゴミ出しで始まる一日も悪くない。見知らぬ人たちの今日の一日に主の祝福と平安を祈った。